京都守護職 松平容保の資料まとめ

幕末の会津藩主松平容保について京都守護職時代の記録のまとめ。徳川慶喜、孝明天皇についても。

2018-03-02から1日間の記事一覧

孝明天皇崩御に関する記録まとめ

中山績子日記(孝明帝の典侍)【十二月十一日】おかみはご機嫌よく。内侍所(祈祷するところ)でお神楽がある。おかみは午後二時頃潔斎のために沐浴された。御神楽は夜二十二時に終わり、おかみは深夜二時過ぎにご就寝。 ※績子の日記のはいつも「おかみの今…

慶応元年閏五月二十日 > 御所で臨時の会議

今日、臨期御評議有之旨触来。殿下右府尹常陸両宮内府一条九条両亜相両役等参集。一橋中納言会津中将桑名少将等参会。会津中将、去日行向之挨拶相互述之此次大樹参内之間儀少々談之。殿下拝謁内々被示合之旨有之。申半許殿下以下国事掛一同両役一統於露台下…

慶応二年三月二十四日 > 悪口の張り紙が貼られる

落札 一橋中納言 松平肥後守右両人奸悪日に相募り候に付、深探索いたし候所恐れ多くも 皇上を東国に遷し奉らんと計り候。格相顕れ候故、勤王之志有るもの怠慢なく禁閥を護り奉るべきもの也天下勤王之士(安達清風日記-579) 一橋中納言(慶喜)と松平肥後守…

元治元年一月九日 > 春嶽邸で会議

九日、松平肥後守入来年史申置。後日挨拶使遣。(議奏加勢備忘1-120) (九日、夕八ツ時より一橋殿会津殿宇和島殿島津殿当邸に集会せらる。この日は茂昭公にも御同席なりき。さて御相談ありしたい略は、会津侯を征長副師に、春嶽公を守護職に、島津殿を幕議の…

文久三年一月二十七日 > 風邪で寝込む

昨日ハ参上仕候様被下候處、風邪ニ付何分参謁仕兼候、此段偏ニ御海量被下候様奉願候。(慶喜公伝史料編1-422) 「昨日、来るように言われていましたが、何分風邪を引いていて伺えませんでした。このこと、寛大なお心でお察し下さい」 この手紙は二十八日に容…