京都守護職 松平容保の資料まとめ

幕末の会津藩主松平容保について京都守護職時代の記録のまとめ。徳川慶喜、孝明天皇についても。

2018-03-11から1日間の記事一覧

御所の表と裏

【御常御殿】江戸時代のおかみの普段の生活の中心。書院造の殿舎。外観は蔀戸が残されていて、寝殿造の面影がある。

関白について

・江戸時代の関白の仕事は、幕府と朝廷のパイプ役。・でも幕府がバックについてるので、幕府側の意見になりやすい。・それに幕府がバックについてるので、帝もおいそれと反抗しづらい。・関白には内覧という特権があって、帝に提出する書類を帝より先に見る…

元治元年九月六日 > ご洗米を下賜される

わが公は、さきに病を勉めて宿衛して以来、日夜心身を労することが多かったが、特に七月十九日以降は、あるいは徹宵すること数夜に及び、あるいは庭上に露営するなど、すこぶる労苦をきわめた。このゆえに、事変が鎮定するに及んで、病はとみに重きを加えた…

元治元年六月二十七日 > 容保、駕籠のまま武家玄関から参内する

二十七日、わが斥候が、長州藩士が襲来の気配あることを九条河原の営に報告した。それで、黒谷の本営に急を告げた。わが公は病をおして、本隊と内藤、生駒、一瀬等の隊を率い、家老一瀬を従えて清所門から参内した。禁裏附の糟谷筑後守が勅旨を伝え、特に武…

元治元年七月十日 > 容保、悪口を張りだされる

昨日十日朝、堂上今城殿裏門に左之張紙有之由。(風聞集-69) 六月二十七日、会津斥候が長州藩士襲来の気配あることを受けて、容保が病中に駕籠に乗ったまま御所に参内したことが、悪い噂になっています。

文久三年十二月十三日 > 容保、大さわぎして身支度する

十二月十三日、夕八つ時出門施薬院にて会津侯の許に到らせられ、それより参内ありて、夜九つ半時、帰館せらる。この日宮中において長藩井原主計より差しだしたる書面を下附せられ、意見を尋ね下されしか、参内諸侯方には該書面御収受の上は井原には帰国すべ…

文久三年十二月十六日 > 浄華院に引っ越しする

十六日、容保館を施薬院より寺門浄華院に徒す。故事に将軍参内毎に施薬院に過り更衣束帯す。時に将軍上洛近きにあり、施薬院を還さざるを得ずして時情未だ穏やかならず、黒谷の皇居を距る遠く、緩急事にて及ばざるを以て、伝奏衆より旨あり。浄華院に徒る。…

文久三年九月一日 > 攘夷勅使のお供として江戸に行くようとの勅命

九月朔日勅命ありて、有栖川熾仁親王を攘夷別勅使とし、大原三位重徳を副使とし、松平肥後守容保に随行を命ぜられけり。是より先八月十九日、攘夷迅速成功すべしとの御沙汰ありしかども、関東より何等の奏聞も無りしかば、朝廷は松平備前守茂政、松平相模守…