慶応三年
美濃守は筆硯を持来らしめて、携ふる所の扇に一首の和歌を書し、封緘して肥後守に贈らる。心あひて 結ひし中の友垣を あられぬ風のなと隔つらん肥後守は心動きて頓て面会せられたり。(七年史15-15) leica.hatenablog.jp この後十七日に板倉に手紙を送り、…
松平肥後守、松平越中守に命じ、解兵の公布を朝廷に奉請せしむ。肥後守は再征の主張者なれば、解兵の不可を争ひたれども、用いられざるを以て怏々として楽しまず(慶喜公伝3-321) 慶喜は、国喪のために長州征伐をとりやめるために、容保の所司代弟定敬を呼…
二十八日、大将軍は侍医香雲院に命じて肥後守が疾を訪はしめられければ、香雲院は帰りて其病状を言上しけり。(七年史15-44) 将軍慶喜は、御典医の香雲院に命じて、容保の病状を拝診させました。香雲院は診察だけして、帰ってから慶喜に病状を伝えます。将…