正午御供揃にて、尾張殿並会津侯へ御成。(東本願寺史料-697) 慶喜が宿舎としている東本願寺の門跡が黒谷本陣に挨拶に来ました。 門跡 お寺の一番偉い人。当時は大谷光勝(法名:嚴如)です。奥さんは中川宮の妹(伏見宮和子女王)です。
十三日、肥後守容保は初めて粟田宮尊融親王に謁せらるる。(七年史3-2) 中川宮は国事掛として勤めるべしとの朝命を受けて、粟田口にある青蓮院を出て、日光宮里坊に引っ越ししましたが、国事掛を辞めて青蓮院に隠遁したいと、何度も請願していました。疑わ…
中山績子日記(孝明帝の典侍)【十二月十一日】おかみはご機嫌よく。内侍所(祈祷するところ)でお神楽がある。おかみは午後二時頃潔斎のために沐浴された。御神楽は夜二十二時に終わり、おかみは深夜二時過ぎにご就寝。 ※績子の日記のはいつも「おかみの今…
今日、臨期御評議有之旨触来。殿下右府尹常陸両宮内府一条九条両亜相両役等参集。一橋中納言会津中将桑名少将等参会。会津中将、去日行向之挨拶相互述之此次大樹参内之間儀少々談之。殿下拝謁内々被示合之旨有之。申半許殿下以下国事掛一同両役一統於露台下…
落札 一橋中納言 松平肥後守右両人奸悪日に相募り候に付、深探索いたし候所恐れ多くも 皇上を東国に遷し奉らんと計り候。格相顕れ候故、勤王之志有るもの怠慢なく禁閥を護り奉るべきもの也天下勤王之士(安達清風日記-579) 一橋中納言(慶喜)と松平肥後守…
九日、松平肥後守入来年史申置。後日挨拶使遣。(議奏加勢備忘1-120) (九日、夕八ツ時より一橋殿会津殿宇和島殿島津殿当邸に集会せらる。この日は茂昭公にも御同席なりき。さて御相談ありしたい略は、会津侯を征長副師に、春嶽公を守護職に、島津殿を幕議の…
昨日ハ参上仕候様被下候處、風邪ニ付何分参謁仕兼候、此段偏ニ御海量被下候様奉願候。(慶喜公伝史料編1-422) 「昨日、来るように言われていましたが、何分風邪を引いていて伺えませんでした。このこと、寛大なお心でお察し下さい」 この手紙は二十八日に容…