京都守護職 松平容保の資料まとめ

幕末の会津藩主松平容保について京都守護職時代の記録のまとめ。徳川慶喜、孝明天皇についても。

慶応二年三月二十四日 > 悪口の張り紙が貼られる

落札 一橋中納言 松平肥後守
右両人奸悪日に相募り候に付、深探索いたし候所恐れ多くも 皇上を東国に遷し奉らんと計り候。格相顕れ候故、勤王之志有るもの怠慢なく禁閥を護り奉るべきもの也
天下勤王之士(安達清風日記-579)

 

一橋中納言慶喜)と松平肥後守(容保)、この二人は日に日に悪企みを重ねている。調べたところ、畏れ多くもおかみを江戸にご動座頂こうと計画しているということが分かった。勤皇の志ありものは、ぬかりなく御所を守るべし。

 

ということですが、天皇を江戸に連れて行ったのは、勤皇の志士たちの総本山の長州(と薩摩)の明治政府なのですから、皮肉なものだと思いました。