京都守護職 松平容保の資料まとめ

幕末の会津藩主松平容保について京都守護職時代の記録のまとめ。徳川慶喜、孝明天皇についても。

慶応元年閏五月二十日 > 御所で臨時の会議

今日、臨期御評議有之旨触来。
殿下右府尹常陸両宮内府一条九条両亜相両役等参集。一橋中納言会津中将桑名少将等参会。
会津中将、去日行向之挨拶相互述之此次大樹参内之間儀少々談之。
殿下拝謁内々被示合之旨有之。
申半許殿下以下国事掛一同両役一統於露台下一会桑等面談。大樹参内其他長防処理之儀等有談判。夕事了入夜各召御前衆議有之亥時退出。(続愚林記1-235)

 

臨時の評議の連絡が来て、二条関白、徳大寺右大臣、中川宮、常陸宮、一条実良、九条道孝武家伝奏議奏武家では一橋慶喜容保松平定敬が出席しました。日記の書き手は正親町三条実愛です。実愛はまず容保に先日のお礼のあいさつをします。

 

 

先日のお礼とは、十八日に実愛の家の家来(諸大夫)の千葉洪胤が勅許により官位従六位美濃守を賜ったのですが、そのお祝いに容保が大野英馬をつかわしたからのようです。この時、このたびの大樹参内についても話し合っています。その挨拶をお互いにした後、また将軍家茂参内について少し話し合いました。
夕方四時頃、国事掛たちと慶喜、容保、定敬は露台下で面談します。議題は家茂参内や長州の処置についてです。夜に入って帝の前に召されて衆議し、退出は夜九時でした。