京都守護職 松平容保の資料まとめ

幕末の会津藩主松平容保について京都守護職時代の記録のまとめ。徳川慶喜、孝明天皇についても。

元治元年八月四日 > 池田屋の報奨金を下賜される

六月六日浮浪の徒、洛内へ聚屯不容易企有之候節、早速人数差出悪徒共召捕切捨、鎮静に及候段、速御聴候、右は兼々御守衛筋厚被相心得家来へ申付行届候故之儀と、一段之事に御沙汰に候。(七年史9-36)

 

すみやかに、というか随分前のことについて報奨金がでました。もう禁門の変の報せも届いてる時期なのですが、長州が賊徒だと確定したから報奨金が出たっぽいように思います。報奨金の金額は千両で、このうち六百両を新撰組に、残りを関係の士卒に配布しました。

 

会津藩庁記録(元治元年2-493)には更に

功之次第ニ寄相応割賦死傷之者へも為収候様可被致候

と、功績の度合いに応じて配布して、死んだ者にも配布するようにという指示がついてます。さらにこの後、新撰組の各メンバーに細かく指示がいってます。

 

近藤勇 金十両(+別段二十両
土方歳三 金十両(+別段十三両)

 

十両(+別段十両)の人達
沖田総司永倉新八、藤堂平輔(助じゃなかった)、谷万太郎、浅野藤太郎、武田観柳斎

 

十両(+別段七両)の人達
井上源三郎、原田佐之助、斎藤一、篠塚岸三、林信太郎、島田魁川島勝司、葛山武八郎、谷三十郎、三晶仲治、蟻通勘吾

 

十両(+別段五両)の人達
松原忠司宿院良蔵、河合耆三郎、近藤周平などなど。