元治元年四月十五日 > 家茂よりお見舞いの使者
御小姓頭取木村紀伊守殿、御使を以従
公方様、左之御直書丼御脇息壱、ギヤマン壱、御煮染五品入 御拝領被遊御用人及応対御礼如例取計候由、右御書内蔵助被召出候節、御下遊江戸会津へ申遣之御使者御口上之趣 密事往返控ニ有之
不調之時令昨今之容躰、如何哉。朝夕心配致候。療養無油断何分にも気力引立一日にも早く快復之上是迄之忠勤不空様、為国家祈處候。猶委細側向より可申聞候事。
卯月十五日 (花押) 会津中将との(会津藩庁記録-軍事総裁戦中御達丼伺控-139)
将軍家茂公のお使いとして、お小姓の木村紀伊守がやってきました。将軍の直筆の手紙、脇息、ギヤマン、お煮しめ五品等を拝領しました。応対には神保内蔵助がでました。
手紙の内容は「不調だと聞いているが、昨今の容体はいかがか。朝夕と心配している。療養をしっかりやって、気力を引き立て、一日も早く回復して、これまで通りの忠勤するよう、国家のために祈っている」ということです。
また、小姓紀伊守は、将軍が容保の病状をとても心配していている様子を話してくれたので、容保以下家臣たちは感動して泣きました。将軍がその手ずから手紙を書いて家臣の病状を伺ってくれたのは、いまだ前例がないということです。(七年史7-81)
※お見舞いの品が本によって違います。
会津藩庁記録 脇息、ギヤマン、お煮しめ五品
七年史 金蒔絵机 お煮しめ
京都守護職始末 脇息 檜重(檜で作った重箱)
檜のお重にお煮しめが五品入ってたということでしょうか。
将軍からの手紙はとても優しげな文章です。