京都守護職 松平容保の資料まとめ

幕末の会津藩主松平容保について京都守護職時代の記録のまとめ。徳川慶喜、孝明天皇についても。

2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧

王城の護衛者を史料と一緒に読んでみる(4)

驚いて家老の横山主税、神保修理、田中土佐らが出てきた。(88) 二度目だけど、家老は神保内蔵助利孝です。修理は息子です。 古来、天子から武家に御直筆の宸翰がさがったというような例はない。(88) 宸翰というか、御製はかつて島津斉彬にくだってます。…

王城の護衛者を史料と一緒に読んでみる(3)

この場の容保にとっては必要ではない。(67) 足利木像梟首事件です。大庭恭平がもどってきて「それがしがやりました」って言うシーンです。容保クール。七年史によると「そなたの罪は今、糺すべきではない」と言ってお金をあげて、つまり「逃げよ」というこ…

慶喜が阿片を処方された時期について

司馬遼太郎さんの著作「胡蝶の夢」で「元治元年に慶喜が神経症を発症したので、松本良順がアヘンを飲ませたら寝た」というエピソードがあるのですが、かなり大胆で面白いお話なので実際あったはずなのに慶喜側の資料(慶喜公伝、昔夢会筆記)には何も書いて…

慶応元年閏五月二十二日 – 将軍参内に合わせて参内する

二十二日、将軍家は入京し、参内された。わが公は先だって参内し、これを迎えた。聖上は小御所に出御あり、将軍家は進んで竜顔を拝し、去年以来、しばしば勅召があったのに、入観の遅緩した罪を謝し奉った。聖上は親しく恩諭の詔があり、且つ「一橋中納言、…