京都守護職 松平容保の資料まとめ

幕末の会津藩主松平容保について京都守護職時代の記録のまとめ。徳川慶喜、孝明天皇についても。

慶応三年四月二十八日 – 慶喜からお見舞い

二十八日、大将軍は侍医香雲院に命じて肥後守が疾を訪はしめられければ、香雲院は帰りて其病状を言上しけり。(七年史15-44)

 

将軍慶喜は、御典医の香雲院に命じて、容保の病状を拝診させました。香雲院は診察だけして、帰ってから慶喜に病状を伝えます。将軍は板倉周防守を通して会津公用人に「肥後守がよいならば、香雲院に命じて薬餌を処方させよう。が、強いて病を治せとは言わない」つまり、ゆっくりやすみなさいということなのです。容保はその配慮を喜んで、薬を処方してもらい、日に日に軽快に向かったそうです。

 

香雲院 石川桜所。松本良順とともに家茂の御典医となり、文久三年の慶喜の不眠治療にもあたっています。孝明天皇毒殺の疑いがかかったこともありました。(診察する前に孝明天皇崩御したので濡れ衣)

 

十四代将軍家茂のお見舞いとは、かなり趣がちがいます。

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家茂は容保に「国家のために、一日も早く病を治してほしい、頼りにしている」と、手放しで頼って励ましていますが、慶喜は「治そうとして無理することはない、ゆっくり休め」という主旨。容保も素直に感激して、和やかないいお話です。